いぐべ YAMAGATA

山形には 愛 がある

競馬の世界で働いた私が「好きな競走馬ベスト10」を話す前に語ること

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はじめに

まさか競馬ネタを書くことになるとはね(笑)..

▼切っ掛けは、でー君の記事 (id:d3dayo
d3dayo.hateblo.jp

「好きな競走馬ベスト10」の記事を書くには、いぐべの青春時代 10代~20代前半の馬との関わりを先に説明をしなければいけません。馬との関わりを語ることは、いぐべの半生を語ると一緒なので自己紹介だと思って読んで下さいね(^^ )

タイトル通り、いぐべは元競馬関係者です!... とは言っても、仕事のハードさに耐えることが出来ず、北海道のサラブレッド生産牧場から3年ほどで辞め、山形に帰ってきた根性なしですけど(^-^;

小学生時代

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競馬とは無縁の家庭環境で育ち、野原を駆け、大好きな猫と戯れてた少年時代は、競馬と言ったら「さんまのナンでもダービー」と「オグリキャップのぬいぐるみ」しか分からない、どこにでもいる少年でした。

当時、ダビスタが流行していたので、友人からを借りてプレイしましたが、ハマることなありませんでした。ダビスタには裏技的な要素があったので、強い馬を育成し続ける通常プレイよりも、裏技を使って単発でプレイするのが好きだったと記憶しています。

中学生時代

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競馬にハマる切っ掛けは血気盛んな中1の時です。
たまたま買った中古の競馬ゲームソフト「ウイニングポスト」で競馬の奥深さと同時に、松田聖子ちゃんの流行語にもなった「ビビビッと来た」と同じような衝撃を受けました。

その頃の競走馬というと、「サイレンススズカ」「タイキシャトル」「ステイゴールド」「シーキングザパール」... 等々、超個性的な馬達と日本調教馬が世界で開花し始めた世代。ドラマティックな出来事や、世界競馬の華やかさを教えてくれた競走馬たちがいました。

その下の世代になると「スペシャルウイーク」「グラスワンダー」「エルコンドルパサー」「セイウンスカイ」「キングヘイロー」「ファレノプシス」.... 等々、世界で活躍した馬や、超実力派の馬達、個性的な馬など、オス、メス、距離別問わず、バラエティー豊かなスターホースが群雄割拠する世代でした。

当時、79年生まれのサッカー選手「小野伸二」や「稲本潤一」らは黄金世代と呼ばれていたので、「スペシャルウイーク」ら95年生まれの馬達も「黄金世代」と呼ばれていました。

狂ったように競馬に夢中で、いぐべの部屋は馬のポスターだらけ、枕元にはサブレット血統攻略本、雑誌や書籍は読みあさり、馬グッズがそこら中に転がっていました。

この頃になると、同級生は高校受験を真剣に考える頃ですが、いぐべは高校に進学するよりも、競馬の道に進学することしか頭になかったので、千葉県にある馬の専門学校のパンフレットを取り寄せ、親に「千葉に行かせろ!!」と迫りました。

もちろん、両親の超必死の抵抗に合い、最終的は「高校卒業したら車買ってけるから!」と言われ断念しました。もし、高校に行かず、そのまま馬に道に進学したら、今は何をやっているか想像出来ません。

今でも両親は、抵抗劇を自分の武勇伝のように語り、笑いを取ろうとしていますが、「車買ってー!!」と言うと大人しくなります。大きな声では言えませんが少しだけ感謝してます。

高校時代

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高校入学から半年間、競馬熱は沈静化していました。原因は黄金世代の主要な馬達が引退をして、競馬がつまらないと感じたからです。ですが、燃えたぎる競馬熱はそう易々とは消えませんでした。

切っ掛けのトリガーはもちろん競馬「マイルチャンピオンS」
TV画面に突如現れた、直線一気の末脚!当時、ほぼ無名に近かった「アグネスデジタル」の勝ち方に酔いしれ、感化されたいぐべは、夕方には町内を走ってました。トレーニング開始の合図です。

こうなると、猪突猛進の気性持ったイグベ号は誰にも止められません!

体力に自信が無く、華奢な体格のイグベ号は、毎日、筋トレとランニングをして馬の世界で働く下地作りに励んでました。上山競馬場(かみのやま)にも、何度も足を運び、高校生ながら馬券を買って競馬の勉強です。

高3にもなると、両親は息子が競馬の世界に行くことに反対はせず、半ば諦めた感で千葉の馬の専門学校に送ってくれました。ちなみに馬に触れたのは専門学校の適性試験での乗馬体験が初で、面接も兼ねていたので高校の制服姿で馬に乗ってました。

専門学校時代

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専門学校には全国から同年齢の馬好きが集まる訳で、南は鹿児島、北は秋田までと、100人程の馬に飢えた強者共が集まって来ました。山形では、いぐべの馬の話しに付いて来れる友人は中学生の頃からいなかったもので、馬の話しで盛り上がることをそこで初めて知りました。

同世代なので、好きな馬もほとんど一緒。競馬への切っ掛けもゲームから入った方がほとんどで、ダビスタ派とウイポ派で別れます。稀に、でー君 (id:d3dayo) のように親が馬好きで、小さい頃から競馬場に出入りしている羨ましい方もいました。

馬の学校なので、騎乗技術や馬の管理を幅広く学びます。馬は競走馬を引退したサラブレッドが大半で、乗馬に向いているの?...みたいな馬が多く、通常の乗馬クラブの馬よりは、気性がチョットだけ激しい馬が多いので、蹴られる、噛まれるは日常茶飯事でした。

いぐべは、蹴ってくるようなヤンチャな馬が大好きで、教官も、ヤンチャで敬遠される馬はいぐべに担当させるような振り分けをしていたので、入学して半年ほどは充実した毎日を送ってました。


半年ほどすると、競馬への興味よりも、馬への興味と扱う人への興味に移り変わり、競馬を見る視点も大きく変わって来ました。いぐべは騎乗センスは無かったようですが、馬を扱うセンスは高かったので、就職先を北海道の生産牧場に絞ったのもこの頃です。

学校では、必ず1度は牧場研修をするカリキュラムを組まれていたので、北海道の老舗有名牧場で1ヶ月研修をしました。当時のいぐべは馬に関して貪欲でハングリー精神の持ち主だったので、研修が終わり千葉に戻っても、既に大人しい乗馬馬では満足できなくなりました。その後も2件ほど牧場研修を行い、腕を磨いていました。

研修先では、後にG1を勝った気性の激しい馬が当時1才でいたので、後のいぐべにも良い意味で大きな影響を与えました。

学校は2年間教育ですが、2年目の11月には就職が解禁されるので、同時に北海道の中堅牧場に就職しました。これ以上、学校に在籍しても何も得られないと感じたからです。

就職....... そして 今

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ここからは良い思い出があまりないので、ザックリいきます。

就職先では、1ヶ月ほどで一厩舎を預けられ14頭を管理していました。生産牧場なので春先からは子馬が産まれるので、実質の管理頭数は倍の数になります。

いぐべが管理していた厩舎はお産馬房(出産の部屋)を兼ねていたので、次々と子馬が産まれ、同時に初期馴致(教育)をしなければいけない過酷さでした。当時、関わった馬には今をときめくあの馬の母馬もいるので良い思いでかも。

疲れ果てたいぐべは他の牧場からのお誘いもありましたが断り山形へ戻って来ました。数年後には、どうしても馬を再びやりたがったので北海道へ..... そしてまた山形へ戻る。


今は、馬とは完全に離れており、馬券も遊びでたまに買う程度。日課として競馬情報は毎日チェックしてますが、競馬中継は見ないことが多いです。数年前のオルフェーヴルとジェントルドンナには泣いて感動しましたが、それ以来、いぐべの競馬熱のスイッチを押す馬は現れていません。

強いて言えば、セレクトセール(日本最大の馬市)と繁殖牝馬のセリ名簿を見て、自分が馬主か生産者側だったらどの馬を買うか妄想する程度です。

馬券を買えば、また違う楽しみが出来ると思いますが、人生破滅しそうなので買いません(笑)..競馬はザックリ言うとギャンブルとしての楽しみ方とスポーツとしての楽しみ方がありますが、いぐべはスポーツ競馬で生産者より目線かな?

だらだらと書いてしまいましたが、書こうとすれば1万文字ぐらい余裕で書けそうでした。競馬への情熱は全盛期の0.01 %ぐらいですが、この記事を書いていたら1%に上がりました(^^)..なかなか自分の半生を見直すことがなかったので良い機会でした。今回はでー君 (id:d3dayo) に感謝致します。<(_ _)>

「好きな競走馬ベスト10」は情熱が0.01 %に戻ったら書こうかなー( ´艸`)
(競馬熱の再燃焼は危険だべ)



おわり_(_^_)_